ナショナル・ヒストリーを超えて
2004年5月9日 読書
ISBN:4130033131 単行本(ソフトカバー) 高橋 哲哉 東京大学出版会 1998/05 ¥2,625
この一冊は、とても中身が濃い。
最初は高橋氏の「否定論の時代」を読もうと思って手にとったのだが、なんと小森陽一・姜尚中・吉見俊哉・古田元夫先生の論文も収められていた。
●「政治家の失言、妄言なら他国にもある。しかし、ホロコースト否定論まがいの議論をする『知識人』に導かれ、多数の『文化人』『財界人』が『国家の正史』を要求して立ち上がる。なんと恐い国に生きているのかと思う。正気を保つためには、ある別の狂気が必要だ。」(高橋)
●最も興味深かったのは、古田先生の『戦争の記憶と歴史研究』だ。
古田先生は10年間、1945年に北ベトナム(主にクアンチ以北)で発生し「200万人以上が」死亡した大飢饉に関する実態調査を行ってきた。
この大飢饉、よく知らないのは私だけではないと思う。だけど、相手(ベトナム人)の恨みは確実にこちらに向けられている。少々語弊があるだろうが、要はこの大飢饉に日本人が大きく加担した、ということ。
私のよく知っている日本人(留学仲間)は、(地名は忘れたが)北部の田舎に行ったとき、ある男性から突然「俺の父親や親戚は、日本軍に食料を全部取り上げられて、死んだ!」と、怒鳴られたという。彼女の話を聞いて、一瞬、ゾッとしたのを覚えている。
しかし、1945年前後は、ベトナムでも政治的混乱が激しかったので、飢饉に関する資料は殆ど残っていないという。人々の記憶と神話・物語。「過去を閉ざし、未来を志向する」という1991年以降のベトナムの外交スローガン・・・。
「私は、戦争責任が関係する問題では、まず加害者が自らの国民神話に明確な態度を示すべきだと考えている。このような立場を加害者がとらないかぎりは、被害者の国民神話を問題にすることなどできない。この点を抜きにして、加害者と被害者の国民神話を、同じレベルの対立と見ることは、日本人なら日本の国民神話に、ベトナム人ならベトナムの国民神話にこだわるのが当たり前といった議論と大差ない欠点をはらんでいるように、私には思えてならない。」(古田)
●長谷川博子『儀礼としての性暴力−戦争期のレイプの意味について』
「戦争期における極端な性暴力の現象を、その残酷さや残虐性に目を奪われ、一部の『異常な』人間による逸脱行為・狂気とみなし、『日常性』の外にある『闇』として遠ざけてしまうと、その現象の持つ日常社会とのつながりは見えてこない。しかし、実際には、戦場で強姦に関与したのは、ごく普通の兵士達だったのであり、戦場での性暴力の可能性は『平時』を生きる私達自身の内部に潜在しているのである。この問題は、性暴力とは何かという普遍的な問題につながっているとともに、戦争とは何か、戦争と人間、とりわけ兵士の生成の問題にも深く関わっている。」(長谷川)
イラク人に対する虐待のニュースを見る際の、一つのヒントを与えられたように思う。
この一冊は、とても中身が濃い。
最初は高橋氏の「否定論の時代」を読もうと思って手にとったのだが、なんと小森陽一・姜尚中・吉見俊哉・古田元夫先生の論文も収められていた。
●「政治家の失言、妄言なら他国にもある。しかし、ホロコースト否定論まがいの議論をする『知識人』に導かれ、多数の『文化人』『財界人』が『国家の正史』を要求して立ち上がる。なんと恐い国に生きているのかと思う。正気を保つためには、ある別の狂気が必要だ。」(高橋)
●最も興味深かったのは、古田先生の『戦争の記憶と歴史研究』だ。
古田先生は10年間、1945年に北ベトナム(主にクアンチ以北)で発生し「200万人以上が」死亡した大飢饉に関する実態調査を行ってきた。
この大飢饉、よく知らないのは私だけではないと思う。だけど、相手(ベトナム人)の恨みは確実にこちらに向けられている。少々語弊があるだろうが、要はこの大飢饉に日本人が大きく加担した、ということ。
私のよく知っている日本人(留学仲間)は、(地名は忘れたが)北部の田舎に行ったとき、ある男性から突然「俺の父親や親戚は、日本軍に食料を全部取り上げられて、死んだ!」と、怒鳴られたという。彼女の話を聞いて、一瞬、ゾッとしたのを覚えている。
しかし、1945年前後は、ベトナムでも政治的混乱が激しかったので、飢饉に関する資料は殆ど残っていないという。人々の記憶と神話・物語。「過去を閉ざし、未来を志向する」という1991年以降のベトナムの外交スローガン・・・。
「私は、戦争責任が関係する問題では、まず加害者が自らの国民神話に明確な態度を示すべきだと考えている。このような立場を加害者がとらないかぎりは、被害者の国民神話を問題にすることなどできない。この点を抜きにして、加害者と被害者の国民神話を、同じレベルの対立と見ることは、日本人なら日本の国民神話に、ベトナム人ならベトナムの国民神話にこだわるのが当たり前といった議論と大差ない欠点をはらんでいるように、私には思えてならない。」(古田)
●長谷川博子『儀礼としての性暴力−戦争期のレイプの意味について』
「戦争期における極端な性暴力の現象を、その残酷さや残虐性に目を奪われ、一部の『異常な』人間による逸脱行為・狂気とみなし、『日常性』の外にある『闇』として遠ざけてしまうと、その現象の持つ日常社会とのつながりは見えてこない。しかし、実際には、戦場で強姦に関与したのは、ごく普通の兵士達だったのであり、戦場での性暴力の可能性は『平時』を生きる私達自身の内部に潜在しているのである。この問題は、性暴力とは何かという普遍的な問題につながっているとともに、戦争とは何か、戦争と人間、とりわけ兵士の生成の問題にも深く関わっている。」(長谷川)
イラク人に対する虐待のニュースを見る際の、一つのヒントを与えられたように思う。
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